ベトナム中部は最重要拠点

ベトナム
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ベトナム中部は昔から貿易の地として繁栄していた。

ベトナム中部は現在貿易の要衝として注目されている場所です。特にダナンはタイやミャンマーに延びる東西回廊の入り口となっている場所です。ダナンの港が大型船が就航できるようになってからは日本からも多数就航するようになっています。またダナンには工業団地があり,IT関連企業など多くの企業が入居しています。

ベトナム北部,南部共に経済発展著しいのですが,ベトナム中部も歴史的にはベトナム最後の王朝が置かれた都でもあり現在リゾート・貿易の要衝として注目の的となっています。ベトナム中部は特殊な場所なので自分なりに少しまとめて見ました。

ベトナム中部の貿易拠点としての変遷

1.チャンパ王国(192-1832年)
元々,ベトナム中部はベトナム人の領地ではなくチャム族の支配する地域でした。チャンパ王国は古くは日本の朱印船貿易の寄港地であり琉球王国とも交易がありました。

2.ホイアン

ホイアンはチャンパ王国時代に発展した貿易の要衝です。16世紀~17世紀の最も発展して当時の日本との交易も盛んに行われていました。日本文化はホイアンに残る日本橋,食等の文化面で日本の影響を感じる事ができます。

ホイアン名物のカオラウは日本の伊勢うどんが起源と言われています。

ホイアンは土砂が堆積して川底が浅くなった影響で大型船の往来に支障をきたすようになり,国際貿易はダナン港に移っていくことになります。

.ダナン
18世紀にホイアンが大型船に適さなくなったためにハン河の河口にあるダナン港が使用されるようになります。ダナンは,最近ではミャンマー,タイ,ラオス,ベトナムを結ぶ東西経済回廊の拠点となっており注目を集めている都市でもあります。

中部の都市フエはベトナム最後の王朝の首都

-ベトナム中部にある最後の王朝都市フエ

フエとはベトナム中部にあるベトナム最後の王朝・阮朝の首都が置かれた都市です。ベトナム中部は少し特殊な地域です。ベトナム中部ではクメール王国にも影響を及ぼしたチャンパ王国が1835年滅亡まで影響力を持った地域です。ベトナム語自体も中部の発音は特殊なようで,南部(ホーチミン)や北部(ハノイ)の人達は通じないという人が多くいます。ベトナム中部はベトナムで最後にベトナムの領土として確立した地域になります。

-フエに都が置かれた理由
16世紀からフエは広南阮氏の本拠地になっていました。
元々ベトナムの支配地域は現在の北部(現在のハノイ周辺地域)と南部(現在のフエ周辺地域)に別れて争っていましたが,最終的には南部の広南阮氏の生き残りである阮福暎が北部に勝利したためにフエに統一ベトナムの首都が置かれることになりました。

◎フエは伝統を継承しているか?

‐北部からはじまったベトナム

ベトナムは北部が発祥で長期に渡って中国の支配下に置かれていたので文化的には古代中国の影響を色濃く受けた伝統が残っています。ベトナム語の表記も漢字が用いられていた時代もあります。

‐中部はチャンパ王国の支配地
ベトナム中部は15世紀に崩壊するまではチャンパ王国の領土でしたが,その後も1835年まではチャム族の自治は続きました。

-ベトナム阮朝の中頃からはフランスの植民地
1884年から1945年迄はほぼフランスの植民地となっていた経緯もあって文化的にはフランス等の西洋の影響も多く受けています。

-フエは西洋東洋混合文化
フエは最後の王朝の都として栄えましたが,王宮は火事でほ消失したせいで廃墟のような感じになっています。文化的にはベトナム発祥の地であるベトナム北部やハノイの方がベトナムの伝統的な風俗・慣習が残っています。フエの建築物もフランスの植民地になった影響から西洋的建築とアジア建築が混合した風合いが見てとる事ができます。ベトナム様式は取り入れるのはうまいがのですが,日本のような独自の改良と発展があまりないような気がします。

フエは住みにくい

-フエの街は居づらい
フエの街は自分がイメージしていたような京都のような古都の雰囲気はあまりなく,阮朝の宮殿跡も遺跡のような感じです。問題は道が昔の作りで一方通行や狭い道路が多くあり交通渋滞が頻繁に起こるのであまり歩くのには不向きなところです。またかなり観光地化されているので歩いているとシクロとバイタクが盛んに観光案内を勧めてくるのがうざいところです。ダナンやホイアンに近い事もあり,観光客の定番コースになっており,毎日かなりの数の観光客が訪問しています。フエの街は食事もおいしく食べる所は結構あり,安い宿泊施設もあるのですが,長期にいてもあまり落ち着く雰囲気はありません。


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