タイの発展の基礎はベトナム戦争時のインフラ整備にあり

タイ
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タイのインフラ整備

国が発展するにはインフラ整備が欠かせません,タイは戦地になったことはなくむしろ周辺国が戦場になったために補給基地としてインフラ整備が施され,発展の基礎ができあがりました。
バンコク自体は元々運河が多く水上交通が発達していた経緯もあってバンコク市内の道路は複雑怪奇でせまい道でも双通行であったり行き止まりが多かったりととても計画して作ったようには見えません。そのため,バンコク市内では渋滞がひどいです。しかし少し郊外に出ると広くて車の走りやすい道路が整備されています。
タイの道路を走っていると主要幹線道路の標識がアメリカの標識に似ている気がします。

タイの標識
hyousiki
アメリカの標識
sign

ベトナム戦争とタイ

ベトナム戦争中、タイは南ベトナムとアメリカ側につきました。タイはベトナム戦争の為の米軍と補給のための基地として、ベトナム戦争時の軍需景気で富を蓄積し、インフラ(アメリカ規格の道路等)を整備して近代国家に変貌しました。またタイの有名な観光産業・性産業も、この時期の米軍兵士の為の慰安から始まっています。
歓楽街で有名なパタヤもこの時期に発展しました。元々パタヤは小さな漁村だったそうです、ベトナム戦争事,パタヤをアメリカ軍の保養地として利用し始めたために開発されました。ウタパオ国際空港(パタヤ近く,現在でも、タイ海軍航空隊、米軍の基地として利用されている)がベトナム出撃の重要拠点になっていました。ウタパオ国際空港は現在では各国からチャーター便が離発着しています,近年では中国とロシアのツアー客のためのチャーター便が頻繁に飛んでいます。
アメリカの北ベトナム爆撃のうち約8割がタイ国内から発進する米軍機によるものだったそうです。1963年のタイ・アメリカ軍事同盟によってコラート基地が米軍基地に改装され,その後、ナコンパノム、ウドンタニ、ウボンラチャタニに米軍機が配備されていきました。ウドンタニにはアメリカで引退し老後を過ごす方々を頻繁に見る事ができます,ベトナム戦争で関係したアメリカ人にとっては思い出の地になっているのかもしれません。レストランやホテルもウドンタニは外国人用に整備されているので外国人にとっては過ごしやすい地になっているようです。

現在までに整備されている幹線道路は総延長5,000kmで、99%が2車線以上、98%は舗装済みです。
douro

アジアンハイウェイは隣国であるミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアに通じています。バンコクの交通渋滞を除いて、タイ国内の道路事情は良好です。そのため、長・中距離はトラック,バス,ミニバン,近距離ではタクシー,トゥクトゥク,路線バス,ソンテウが発展しタイの国内移動は安くて便利です。
ミャンマーやカンボジア,ラオス,ベトナムはまだまだ道路が未整備なところが多く,国の発展する基礎がベトナム戦争中に作られたタイは他の周辺国と比べても有利な立ち位置にありました。実際タイ国内を旅してみても道路が整備されているおかげで非常に快適に移動することができます,近年はLCCのおかげで更にタイ旅行は便利になりましたが,タイ各地の空港もベトナム戦争時にアメリカに軍事利用されていたため整備が整いました。
タイに暮らして見て,タイではインフラが整い流通も滞りなくスムーズです,タイが軍事拠点となっていたために外国人の居住しやすいアパートやコンドが豊富なのも納得です。


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