日本の仏像とタイの仏像はどうして違うのか?

日本
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東寺の桜はすばらしい

京都の桜はどれもすばらしいのですが,特に東寺の桜のライトアップはすばらしく印象的でした。東寺の桜については京都に行ってからツーリストインフォーメーションセンターのパンフレットで初めて知りました,今まで知らなかったのが悔やまれる程に東寺にある桜のライトアップは美しく幻想的でした。五重の塔と桜の組合せは絵になります。

東寺の桜と五重の塔↓

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他にも京都の醍醐寺,二条城,京都御所等にいきました。改めて日本の素晴らしさを再認識することができました。

京都の寺を巡ってみて疑問に思ったタイとの違い

京都の寺を巡ってみてふと何故日本の仏像は種類が多くてタイの仏像の種類は少ないのか気になりました。というよりもタイのお寺では仏陀以外の仏像をあまり見たことがありません,王さまが自分の権力を示すために意図的にヒンドゥー教を取り入れたおかげでタイの寺院装飾はヒンズー教影響が随所に見られますが,仏像に関して見ると,ヒンズー教の神様の神像はお寺で見かけるというよりも別の祠で祭ってあるのを良く見かけます。日本のお寺と比べると大乗仏教と上座部仏教の違いがあるとはいえあまりに仏像の種類の数が違い過ぎます。

Thaibuddaタイのお寺では仏像は金色で仏陀の形をした仏像がほとんどです。

Japstatue日本のお寺では様々な種類の仏像があります。

例外として,ラオス人のルアンブー・ブンルア・スラリットという高僧が建立したノーンカーイにあるワットケーク,ラオスにある ブッダバークはヒンズー教の神様と仏教の融合した仏像があります。またはパタヤにある「サンクチュアリオブトゥルース」はいろいろな場所から代表的な仏像や建築様式を抽出しているようで独自というよりはタイらしく集めて共存している感じです。しかし日本のような,独自発展は見られません

違いの理由をいろいろ考察して調べてみると, 仏教の宗派の違いと, 元々信仰されている宗教の信仰の違いにあるようです。

大乗仏教と上座部仏教の違い
上座部仏教の目的が釈迦のような阿羅漢(尊敬や施しを受けるに相応しい聖者)になることで修行に励める人だけの救済をうたっているのに対して,大乗仏教は釈迦の教えを信じるすべての人々の救済を目指しています

大乗仏教の仏像が多種多様になった理由
釈迦が修行することで到達できる存在だと,修行によって到達できる人できない人とが出てきて,人により差異が生まれてきます,仏教を信じる人たち全員を救済することを目的とした大乗仏教ではそういう区別が出てきては困ることになります。そこで釈迦を超越的存在にして人が修行で到達できる次元とはかけ離れた存在として, 釈迦の前では誰もが平等、という状況を作り出したのです。そして釈迦如来ができ,それからは様々な如来像・菩薩像ができ,如(真理)の世界という別世界が存在しているという理由で,大乗仏教では多種多様な仏像が生まれました。

如来が多ければ多いだけ、救済の枠も広がるという意識が大乗仏教にはあったようで拡大・発展の過程で、古代インドの神々の吸収、更に密教の誕生により,仏像の種類を多様にしていきました。
一人も余さず救ってもらいたいという思いが千手観音を生みあらゆる病いから逃れたいという願いが薬師如来を生み、死後は苦しみたくないという切望が阿弥陀如来を生みました。
つまり、多種多様な願望に応えるために、日本の仏像は多種多様になったようです

詳しくは仏像の姿形を参照してください。

それに比べるとタイは日本の様なローカライズをせずにそのまま受け入れた感があります。独自の発展というよりはそのまま取り入れて,うまく共存しています。上座部仏教はそのまま残りながら,お金に関してはヒンズーの神様ガネーシャに祈り,恋愛に関してはトリムルティに祈るという風にヒンドゥーの神様もそのまま仏教に吸収することなく取り入れられています。

精霊信仰を取り入れて発展した神道と,精霊信仰がそのまま残っているタイ

京都に行って見てもうひとつ気になった事があります,神社です。京都の神社について日本は昔から神道があります。少し話はそれますが,天皇は神社神道の最高神官です。仏教を天皇の統制下に置き神仏習合を進めた経緯があります。天皇は明治政府によって転都されましたが,遷都ではありません,様々な行事は未だに京都御所で行われているのも納得です。

それに対してタイの王様は、「仏教徒であり且つ宗教の保護者」(第10条)として宗教界の頂点に立つとされています。

精霊信仰を取り入れて発展した神道

神道
神道を調べて見ると,
”日本に仏教が入る以前からある宗教で自然崇拝として、山、海、川、草木石までを崇拝し、また、先祖崇拝として、亡くなった祖先を崇拝したのが神道の始まりで日本人の生活文化の全般に浸透し、しかも外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギーをもっています。”という説明がありました。

なるほど,元々神道の影響で日本人はいろいろな神を受け入れられやすく,

外来文化については日本独自のものに変化していく下地ができたのかとと納得できます。

精霊信仰がそのまま残っているタイ

一方,タイの精霊信仰とは万物には霊が宿っていて、その精霊が人々の生活を守護することもあれば、不敬な行いに対しては災いを起こすと信じられています。バラモン教、仏教などの外来宗教の伝来以前から存在したとされる信仰の形態で、現在でも外来宗教の影響を受けながらも、タイの信仰として根強く残っています。ビルやホテルの前や民家の庭先でよく見かける祠は、土地の精霊を奉っています。タイの人たちはこの祠にお花を飾り線香を焚いて、手を合わせるのですが、これはピーが怒ると、病気になったり悪いことがおきると信じられているからです。

日本は万物に神が宿っていると考えるのに対してタイは精霊が宿っていると考えているようです。似ているようで違いますね。

個人的には精霊はより個別的で身近に存在しており,神はより超越的な存在な気がします。

日本人がタイを日本のように身近に感じるのは,宗教の類似性と国の成立ちの類似性にあると考えられます。

-タイ
王様-宗教の最高位
仏教,ヒンズー教、精霊信仰が昔ながら共存

-日本
天皇-神道の最高位
仏教(古代ヒンズーの神々を吸収)、神道(精霊信仰を吸収)

日本は島国だったために,独自に発展する要素が強かったのではないかと考えられます。仏像もまた然りで日本の仏像は日本独自の世界観と宗教観で多様性と緻密さを獲得してきたものと思われます。一方タイの仏像はむしろ世俗的でより身近な存在としてそのまま受け継がれてきた感があります。

日本では仏教,精霊信仰は吸収して独自に発展しているという違いがありますが,タイの様に日本と宗教的にも国民的にも似ている国は少ないと思います。

 


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